2020年度 一般社団法人科野青年会議所

理事長所信

第 51 代理事長 馬場 稔

【 ~なぜ「今」を大事にするか~】

私たちの世代は「高度経済成長期」も「バブル期」も経験したことがない世代です。気がついたら「不況、不況」と叫ばれる中、社会へと巣立った者たちの集まりです。また、「情報過多社会」すなわち「当たり前にインターネットがある世代」でもあります。しかし、それもスマートフォンの登場、これにより世界は一変しました。AI、IoT、5G・・・これらが私たちの世界をどう変えていくのか?それに明確に答えられる人間はいないどころか、薄靄に囲まれた森のように、雲をつかむような、そんな漠然とした「不安」を持ってしまう。そのように「不安」を持ちやすい傾向にあるのは、正に「育ってきた時代」による影響が大きいように思えます。

2020 年は本来、大変明るい年であると言えます。東京オリンピック、パラリンピックが開催され、極限にまで鍛えこまれた「人類の努力の結晶」が大きな感動を生むことでしょう。しかし、私たちはついつい「それが終われば、反動で不況が来るだろう」ことを、何気なく知っています。
それを打破するためには何が必要でしょうか?まずは、「時代の変化を楽しむ人間になる」ことが、マインドを切り替えていくことが大事だろうと思われます。

「変化におびえる人間」と「変化を楽しみ、率先していく人間」。科野青年会議所がどちらの集団であるべきか、論を待たないことかと思われます。その為の「方法、手段」を考え実行していくことが青年会議所のあるべき姿であると同時に、必ずそこには「過去」すなわち「青年会議所の原点」がブレることなく存在していなくてはなりません。私が今まで話したことは、正に「JCI Mission」の言う所をただ自分なりに意訳しただけかもしれませんが、「過去」と「未来」が存在する以上、それは繋がるものです。では、「繋げる」ための「接着点」はどこにあるのか。「過去」と「未来」を繋げる点は「今」以外ありません。また、私たちは過去に戻れなければ、時計の針を無理矢理進めて未来へ行くことも出来ません。私たちは「今」しか与えられておらず、また「今」しか操作できないのです。

「過去は過ぎ去り、未来はまだ無い」私の好きな言葉ですが、特に偉人の名言ではありませんし、うろ覚えなので間違っているかもしれません。ただ、圧倒的「真実」のみがこの言葉にあります。一瞬の点の連続しかないのです。それを大事にすることしか人間には出来ないのです。

【~組織と拡大~】

大きな節目となった 2019 年~科野青年会議所創立 50 周年~。50 年を終えた後、皆同じ気持ちを持ったはずです。すなわち「この流れを 60 年、70 年へと引き継いでいくぞ」と。これは正に諸先輩方が我々に期待するものであろうかと思いますが、節目というものは大事なものです。

新たな一歩を進める為に、「原点に立ち戻り、見つめ直す」丁度いい機会が 51 年目の役割であると考えています。これはけして、きれいごとばかりの話でもありません。ご存じの通り、科野青年会議所メンバーの数は減り、日本青年会議所でも会員減少が大きな問題となっています。理由は単純に「若者が減ったから」が一点。「青年団体が昔よりも増えたから」が二点。そして三点目は、「個人の発信能力が桁違いに増えたから」だと考えています。

SNS の普及により、誰でも「自分の意思を 100 万人に」主張できるようになりました。それであれば、団体の存在とは何でしょうか?そのヒントは「一見個で動いているように見える人も、実は団体に所属し、様々な人の協力によって成り立っている」事に気づくことと考えます。そうそう人は人一人で生きてはいけません。何を求めて、そこに所属するか、協力するかが多様になったのです。

組織運営とは時代と共に変わっていくべきことですが、マイノリティー、LGBT、価値観の多様化とフラットな組織化を時代は望んでいるかのような錯覚を起こさせます。しかし、各国の指導者はグローバル社会に疲れた国民の声を代弁した、ナショナリスト的な人物が目立ちます。当然、反対を押し切る力強さ、時に強引さが必要な指導者たちです。ここで疑問が生まれます。「結局人は、フラットな組織を求めるのか、頂点に強烈なリーダーを求めるのか?」。私は「その両方」と答えます。これは「一つの答え」であり「答え」になっていません。二元論では語れない時代なのです。

あらゆる判断基準が許容される時代とは、良い意味で「自由」ですが、得てして悪い意味の「なあなあ」になりがちです。我々、科野青年会議所がそこをはき違えてしまったら、団体として存続の意味を持ちません。科野青年会議所が高い意思レベルを持ち、運動していく集団となる為には、特定の「正解」を求めることはあまり意味が無いのかもしれません。「柔」や「剛」の組織ではなく「しなやか」な組織として変化し、また、それに憧れや共感を持つ人間が集まってくる。それが、最も良い「かたち」だと考えています。会員拡大とは、単にメンバーを増やすという意味ではありません。同志を集い、また周りもそれに影響され自ら動く。その和が広まっていく過程が「会員拡大」であると捉えています。

【~子ども達が先生~】

私が子ども達を見て、圧倒的に私たちの幼少期とは違う点で羨ましいのは「便利さ」を持っている点です。「便利さ」や「快適性」は人の求めから造られてきました。最近はイノベーションにより、求めるより早く時代は進んでいます。ここで誤解が生じがちです。「自分が求めるより早い」ということは、現時点で「求めていない」ということです。ですから、ある種拒否したくなります。そして、拒否する理由を付けます。「今の子供たちは人との接点が少ない」と。実は接点だけで言えば、明らかにスマホを弄っている人間の方が多いのです。毎日、それこそ 24 時間、世界中の誰かと繋がれます。まるで JC のようです。戦後、復興のために立ち上がった諸先輩方が、自分は食べられなかったからと、子ども達に「食べ物がスーパーに売っているからって簡単に食べられるのはずるい」と言うでしょうか?我々もまた「自分たちは苦労して人と出会ったのに、フェイスブックで見つけて連絡取り合うのはずるい」と言うべきではないはずです。便利さをドンドン使って彼らは彼らのやり方で社会を形成していく。それを後押しし、リスク管理を伝え、また、それでも人の体温を感じられる、血の通った交流ほど強いものはない、これを伝えるのもまた青年会議所の務めであります。私は子ども達の社会を常に見つめ、時代の変化をドンドン教えて欲しい。子ども達は先生である、と考えています。

【~パートナーシップの必要性~】

形として姉妹青年会議所を締結することも一つの成果ではありますが、これには時間がかかります。また、千曲市、坂城町の人口を考えた時に、何か大きなことをやろうとすれば、すぐ「人手不足」になってしまう現実があります。ただ、昔に比べ「若手団体の数」そのものは増えました。去る 2019 年 8 月 28 日に、長野商工会議所青年部様主導のもと「青年団体交流会」がスタートしました。8 団体ある「青年団体」が交流を始めたのです。このように、若手の数が減り、団体が多くなれば個々の力は相対的に弱くなるので協力していくという傾向があります。どのような団体であれ、それぞれが「目的に沿って遂行していく」訳ですから、協力の意味さえ合意できれば、お互いの力を出し合う事は容易であるかのように一見思えます。ここで現実的な話をすれば、それを難しくする要因は、お金と時間と団体のエゴであると考えられます。これを克服していくことは、正に「人間力の向上」であり、ここに JC 三信条力「トレーニング、サービス、フレンドシップ」が小さな形で詰め込まれています、だから、JC としてパートナーシップ構築は、実務以上の意味を持っています。それに、色々な仲間に気さくに声をかけ、笑い合える人生は最高そのものではないですか。

【~おわりに~】

どれ程辛く、大変なことであっても仲間がいれば頑張れます。そして偏見や差別がなければ、新しいものを上手く活用できるし、仲間もまた増えます。果たして人は「人のためにやる事が全て他人のため」なのでしょうか。それは違うと思います。「人のためにやったことが自分に返ってきて、結果、自分も人も救われる」そういうものではないでしょうか。しかし、どのようにしたら、素晴らしい社会、環境、人生を送れるのでしょうか。その答えは人それぞれ違うことでしょう。しかし、人に与えられた時間は長くても短くても「結局、今しかない」と考えています。だからスローガンに掲げています。過去の連続が「今」になり、「今」の連続が未来になる。自分で決められるのは「瞬間」しかない。この「瞬間」を一生懸命生きる。理事長の任期は1年間です。この流れで言えば、1 秒×60×60×24×365 秒、今年はうるう年なので 366 秒と言うべきかもしれませんが、限られています。その中で持っている力以上のものを出し、私を支えてくれる現役メンバー、その力を持ってして、社会に還元していくために精進していく所存です。また、特別会員の皆様をはじめ関係各位には、今年度もこれまで以上にご指導、ご鞭撻を賜ります様お願い申し上げ、所信と代えさせていただきます。

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